風通信 ぷねうま舎ブログ

風通信-ぷねうま舎ブログ

風通信3

 

 

 前回、今後の出版方針はと問われて、路線らしきものはないとお答えする旨、記しました。それではまるで、なんでもありの無節操ではないか、とのご批判もあろうかと思い、今回は、原稿と向き合うとき、どんな根性でいるかについて、昔記した一文を引用させていただきます。

 読むという行為を、利き酒に見立てています。ちょっと気取りすぎですが、要はどんな意味でも価値評価といったものとは紙一重で違うのではないか、と言いたかったようです。

 「本を生みだす際の『力』は、何だと思いますか?」というアンケートに応えたものです(『大学出版』八八号、大学出版部協会発行)。

   匂いを嗅ぐ

 日本酒に等級の表示が廃されて久しい。銘柄ごとの値段の格差はかなりのものだが、それも定着しているようだ。その差は、飲んでみれば何とはなしにわかる。しかし、これを言葉にしようとするときわめて難しい。

 原稿という名の、生きられた時間の堆積と向かい合うとき、利き酒ではないが、いつも匂いを嗅ごうとしているように思う。品定めするのでも、ましてランク分けをこととしているのでもない。自分もまた生きてきた時間を背後に置いて、感応できるものを、そして容易には言葉になってくれない何かを探している、と言っていいだろう。しかしこれは、あくまでも理想的なモデルに違いない。その活動の実態は、いわば表と裏の世界をせわしなく行き来するお小姓か、知的ブローカーといったところだ。

 編集者は、どじょうでも金魚でもない。どんな意味でも専門家ではないし、単なる読者でもない。強いて言えば、ラバのような合いの子といったところか。このヌエのような存在を必要としたのは、ある特殊な文化環境なのだろうか。高度情報化社会は、名づけようのないものや表現の難しいリアリティを磨りつぶすかのように高速で回転している。ここはしかし、古い奴だと言われようと、たとえ何のあてもなかろうと、「グッときた」ものの置き場を探して、行けるところまで行くしかない、と思っている。滅びの美学などというもは、軽薄な身の柄ではないのだが。

風通信2

 

 5月27日、立川のオリオン書房ノルテ店にて催された、司修先生講演会の席で、お運びくださった聴き手の方から、私どもぷねうま舎の出版計画についてご質問をいただきました。遅ればせながら、以下はお答えの試みです。

 ご質問の意味が、もし「路線」についてであったとしたら、それは「ない」とお答えするほかはありません。出版とは、その活動のフィールドを予めかぎって展開するものではない、と思っています。作品の構想や執筆計画と同じ水準で、出版物の路線あるいは傾向について云々するのは、おこがましいとどこかで感じてしまうのです。

 出版とは、本来もっと雑駁なものではないでしょうか。水商売に譬える方もいます。たしかに1点1点が勝負なのですから、水ものに違いありません。ましてこの構造不況のさなか、理念を先行させることは、せいぜいダブルスタンダードに陥るだけのことです。

 乏しいものに過ぎませんが、これまでの経験を通して一つだけ言えるのは、出版はひとに即した、ずいぶん人間臭いものではないか、ということです。「ひと」とは、著者の止むにやまれぬ表現の欲求であり、生きているそれぞれの場所で出会いを求める読者です。

 なろうことなら素敵な出会いをしたいし、一儲けもしたい。これが本音です。ただ、よく生きたいというだけです。ただし「よく」の中身は規定せずに。古代末期のある賢者のように、「よく隠れた者が、よく生きたのだ」という考え方もありえますので。

  風通信1

 

こんな一節を見つけました。ちょっと、孫引きを、

 

  文学は現在、不毛という災厄に見舞われている。わざわざ分析   

  するだけの値打のある著作が一冊でも出ればよい方だ。無気力

  で生彩を欠いたつまらぬ小説や、生まれる前から死んでいるく

  だらないパンフレット類おびただしい数の内容見本などが日陰

  で花咲くのが目につくだけで、ましな書物な ど一冊もない。

 

 いえいえ、これは現代の話ではありません。1778年のパリ、1年後に大革命を控えたフランスのことです。

『文学年報』にのった、辛口批評家によるまとめ、という点を差し引くとしても、今日ただいまにそのまま通用しますよね。

 時あたかも、ジャーナリズムが定着して、時事問題に対する大衆的な関心がひろがり、図書館が整備され、グーテンベルクに始まるメディアの革命がようやく生活者のものになり始めた時代です。

IT革命が、あれよあれよという間に、メディアの姿を変えてしまった現代と、よく似た時代の話でもあるわけです。

この引用、実は鷲見洋一先生の作品からの孫引きです。あのモーツァルトが、失意にうなだれて歩いていたパリの風景を描いた一節です。鷲見先生のこのお仕事、私たちぷねうま舎から近刊予定です。ご期待ください。